プロフィール



当サイトへご訪問下さり、
ありがとうございます。



やすひろと申します^^



僕は主に
ブログ、メルマガを使った
情報商材アフィリエイトで
収益を得ております。



やすひろの簡単な実績



2010年:アフィリエイトを知り、始める。

2011年10月:月収30万円を突破。

2011年12月:アフィリエイトアカデミーの認定講師に任命。

2012年1月:日給15万円を達成。

2012年3月:月収70万円を突破。

2012年4月:夢リタセミナー・相談会講師に任命。

2012年4月:1つの商材を10日で100本売り上げる。



やすひろの基本情報



27歳

O型

神奈川県在住



すきなもの



リプトンのグレープティー、ピーチティ

旅行、音楽、映画鑑賞、ねこ



詳細なプロフィール



僕は、1984年に東京都品川区で生まれ、その数カ月後に
神奈川県の厚木市に引っ越したそうです。



それから神奈川県の厚木市には長い間
住むことになります。



幼稚園児の頃は、あまり記憶が定かではないですが、
とっても臆病で、回りの幼稚園児達とうまくやって
いけていなかったという思い出があります。



当時すごく記憶に残っているのが、



学校で言う、HRのような時間、
回りの園児達と一緒に椅子に座っているとき、
おしっこがどうしても我慢できず、
また、トイレに行きたいというのが恥ずかしくて先生に言えず、
その場でおもらしをしてしまったことがありました。



子供なりにいろいろな感情が混ざって、
一人でずっと泣いていたのを覚えています。



今思えば、あの頃から僕は人見知りがすごい
強かったなと思います。



小学生に上がるまでに残っていた記憶といえば、
それくらいですが、小学生になってからは、
今でも鮮明に思い出せるほど人生で一番嫌な時間でした。



親が巨人の星の星一徹ばりのスパルタ教育で、
小学生の6年間は自分の時間というものが
全くありませんでした。



今でこそ、野球に関して何も特別な感情というのは
ありませんし、たまに友達とキャッチボールをするくらい
ちょっとは好きですが、



当時は少年野球の練習の時も、試合の時も、
必ず毎回かかさず見に来る父親に、僕が帰宅した後に
原稿用紙何十枚に反省文を書かされたり
寝てるところを叩き起こされて



「今日、お前がダメだったところを全部言ってみろ」

と言われて、すぐに答えられなければ、
夏だろうが冬だろうがずっと外に立たされる毎日でした。



たまに原稿用紙に

「○○をやらなかったから怒られた」
「○○を最後まで追っかけなかったから怒られた」
「○○の場面で気が引けて動けなかったから怒られた」
「途中で諦めたから怒られた」



と、いちいち癪に障る反省文を書いてブチキレられた
こともあります笑



当時は一週間に一回は家出していました。



近所に田んぼがあって、そこの脇には
ちょっとした用水路があったんです。



その脇は草むらになっていて、ちょうど
ドラえもんに出てくる土管のようなものが
横たわった形で上半分だけ出ていて、
そこの中で一晩野宿したこともあります。



当時の唯一の楽しみは、たまに冷蔵庫に入っている
バヤリースオレンジを飲むことだけでした。



いつもは麦茶か水しか飲めなかったので、
バヤリースオレンジが本当に美味しくて
深夜、親が寝静まった頃に目を盗んでは
冷蔵庫を開けて飲んでいました。



たまに、木の廊下を歩く足音が父親にバレて
おもいっきり怒られてバヤリースオレンジを
ぶちまけられることもありましたが、
その危険性を犯してでもバヤリースオレンジが
飲みたかったんです。



当時家には焼却炉があって、
ダイオキシンが話題になって市から撤去命令
が出るまでは、そこで燃えるゴミを燃やしていました。



でも、燃やすものはゴミだけではなかったのです。



少年野球を終えて恐る恐る家に帰って来て、
説教を食らった後、兄と共同で使っている部屋にある
僕らのおもちゃなどを「外で燃やしてこい」という
理不尽な命令を幾度となく受けました。



焼却炉の火の中で自分が集めていたカードやら
プラモデルやらがひたすら燃えてとけていくのを
何十分もずっと見ていた記憶があります。



僕の家の近くには工業団地があって、
その中の一角にサッカーや野球が出来るくらいの大きな
公園があります。



毎週土曜日は僕の所属している少年野球のチームが
そこを使えるようになっていて、
平日の小学校が終わった後にそこで兄弟3人で
ランニングをしたり短距離ダッシュをしたりしていました。



正月もそこの公園にいって、
キャチャーがかぶるマスクとプロテクターを付けて
15メートルくらいの至近距離で千本ノックを
受けたこともあります。



小学生5年か6年の正月の頃、
弟と一緒にこの公園に連れていかれて、
千本ノックを受けた時、



僕が完全にへっぴり腰になっていたのに
腹を立てた父親がブチ切れて、本当はそのあと
外食に行くはずだった話がパーになって弟に
迷惑をかけたこともありました。



僕は完全に野球を嫌々やっていたので、
兄と弟は少年野球でキャプテン、中学でもキャプテン、
高校でも高校野球をやっていたのですが、



僕は少年野球の時は副キャプテンで、
中学野球の時はレギュラーですらありませんでした
もちろん、高校では野球部に入りませんでした。
(正確には仮入部したのですが、1週間くらいでやめてしまいました)



この時から嫌々やっていることは身につかない
ということをなんとなくでもわかったように思えます。



今でこそ父親とは普通に買い物に行ったり
自営業の仕事を手伝ったりしているほど
特に歪みはありませんが



それは、親が別に僕の事にむかついて
虐待みたいなことをしていたわけではないという
ことが徐々にわかったからです。



少年野球の練習や試合などで、
2,30日に一回くらいは、親がまったく
怒らず、普通の時がありました。



今日は三振ばっかりしたし、盗塁も失敗したし、
絶対怒られるだろうな、と思っていた時ですらです。



後でわかったのが、僕がちょっとでも中途半端な
プレーをしたり、諦めてしまったときというのは
確実にぶち切れられますが、



とにかく判断がどうであろうと、
全力でバットを振った時や次の塁を目指して走っていた
ようなプレーをした時というのは、怒られなかったんです。



でも、それは少年野球をやっていた時には
気付きようもありませんでした。



当時は、どうやったら親に怒られないで済むだろうか?
ということばかりを考えて、プレーのことなど
そっちのけだったからです。



中学生になってからはあまり親も怒らなく
なりました。



というのも、



中学校の部活の練習というのは親は見にこれないし、
試合があっても僕はほとんど出ないので笑、
親もだんだん野球に関与することがなくなりました。



ちょっとだけ、心がほっとし始めた時期です。



そういった時期に、小学6年生のころから
兄の影響で書き始めた絵がちょっとずつ
好きになっていきました。



自分の納得出来る絵がかけると、すごく
幸せな気分にもなりましたし、心が落ち着いたのです。



その影響もあって、中学生の頃には
学校の新聞係で4コマ漫画などを書いていました。



たまに感想を言ってくれるクラスメイトがいたりして、
とっても嬉しかったのを覚えています。



そんな中、なぜかすごく息があって、
いっつも一緒で、学校が終わってからずっと
話をしたりする女の子の友達が出来ました。



特に好きとかっていう恋愛感情はなかったのですが、
仲のいい男の子の友だちよりもよっぽど一緒にいる時間が長くて、
回りのクラスメイト達に「付き合ってるの?」
という言葉を何回もらったかわかりませんでした。



単純にお互い絵が好きだったり、
趣味が似ているだけだったのですが、
人見知りの僕でもすごく自然に話せて、
その子といる時はすごく楽しい時間を過ごせました。



でも、
そういった関係も1年くらいを過ぎた時に
あっという間に終ってしまったのです。



きっかけは、その子の友達の女の子に、
「好きなんでしょ?」「絶対好きだよね?」
なんて言われて、ちょっと恥ずかしくなってしまった僕は
「あんな奴すきじゃないよ」とつい、言ってしまったのですが、



それが悪い形でその子に伝わってしまい、
関係がギクシャクするようになってしまって、
数カ月後には話をすることもなくなってしまいました。



完全に悪いことをしてしまったと
すごく後悔しました。



卒業するまでには悪かったということを
伝えたいと思いましたし、そういったチャンスを
伺っていたのですが、



結局、卒業までにその子と会話することはなく、
高校生になりました。



高校生になってからは僕は完全に方向を
見失いまくります。



しょっぱな、高校1年生の最初の日。

自己紹介で、無難に「野球をやっていました」
といえばいいものを、



絵を書いたり漫画を書くのが好きです



という一言を言った瞬間に、
クラスの女子の態度が最低最悪なものに
なりました笑



男子は普通に「漫画見せてよー」と言ってくれるのですが、
女子の超、冷たい態度といったらもう
思い出したくありません笑



中学生の頃はまったくそんなことが
なかったのですが、高校生になると、
絵や漫画=オタク!!
というレッテル+関わりたくない男子
という図式が女子の中で確立されていたのです。



最初の反応で薄々気づいていたのですが、
それを確信したのは5月の遠足でのバスの中。



遠足のバスは、よく高速で見かける
「○○高等学校様ご一行」とフロントガラスに
書いてあるような、専用のバスで、
中はカラオケ完備でした。



で、カラオケのうたぼんを回すのですが、
クラスの人がいっぱいいるバスの中で
カラオケなんて絶対無理な僕は、うたぼんを
受け取ってすぐに、



後ろの人に回すのですが、
なんと…後ろの女子が受け取り拒否…!



あれ?と思って「はい」と渡そうとしても、
完全にシカトです…!



「やべぇコレまじやべぇ~」なんて思いながら、
じゃあ、その後ろの人に渡そうと思って、
通路に出てみたら、その後ろにいるのも女子!!



完全に心が折れそうになりました



結局その後ろの女子も受け取ってくれず、
近くにいた男子に渡しました。



完全に泣きたくなりました笑



でも、同時にこの遠足の時にちょっとした
機転があったのです。



当時高校3年生だったうちの兄は、
すごくファッションに凝っていて、



「お前が来ている服はオタクチックすぎてやべぇぞ」



「それでなくても中学の時はズボンを
メッチャ上まで上げて一人だけオタクオーラ
丸出しだったじゃねぇか」



「これを着ていけ」



といって、当時はメッチャ最先端だった
ダメージジーンズのなんか七分のズボンと、
くるぶしソックスを渡してくれました。



そんなん今まで着たことなかったので、
びっくりしましたが、これが男子にうけて、
最先端…!馬上、最先端…!!
と祭りあげてくれました笑



兄に感謝です…笑



そして、4コマ漫画が好きだったので、
遠足先で、仲のいい友だちと、写真で4コマ漫画を
撮りました。



1コマ目

僕が殴りかかっている写真



2コマ目

相手に避けられる写真



3コマ目

相手が僕の顎の下にアッパーを出す瞬間の写真



4コマ目

僕がカウンターを食らう写真



というような、どうしようもなく
くだらない写真を撮ったのです笑



でも、後日それをみたクラス中の人が
メッチャ笑ってくれました



で、その日から女子の冷たい態度も
さっぱり無くなりました笑



ここで、僕はピンチとチャンスは常に
表裏一体なのだということを学びました笑



夏になると、体育の選択授業で
ソフトボールがあったので、
それを選択しました。



で、もちろん9年野球をやっていた僕は
まがりなりにも野球部のいないその授業では
活躍し放題笑



ホームランを何本打ったかわかりません笑



そのおかげで何故かその日から
あだ名が「名手」になりました。



なんかプロ野球の守備が上手い人を
名手と呼ぶのだそうです笑



父親に感謝です…笑



2年生になった頃には友達もすごく増えて、
学校が終わったら毎日遊びたくて
高校1年生の頃から1年やったバイトを
やめて、友達と遊ぶ毎日が始まりました。



週に5,6日はいつも高校の友だちと
遊び呆けていました。



小学生の頃は、正直、人生なんてつまらないと
何度も思いましたし、このまま寝て起きたら
もう自分なんていなくなっていればいいのにと
毎日思っていました。



でも、高校生になって、友だちもできて、
彼女も出来て、こんなに楽しいことがあるなんて、
と本当に心の底から幸せだったことを覚えています。



こんな幸せがずっと続くということは
ありえない、とはわかっていたものの、
当時は将来のことなんかなんにも考えずに
ひたすら毎日遊び続けました。



今思えば、本当にひどいクズ野郎だったと
思うのですが、ほとんどの日を昼から登校していました。



だいたいみんながお昼ごはんを食べているときに、
登校していたのです。



3年生になると火曜日と木曜日は選択授業で、
選択授業をとっていない人はお昼以降の授業は無いのですが、
たまにそれを忘れてお昼に登校してお昼だけ食べて
帰るという日もありました。



高校生のくせにいっつも11時くらいに
起きて登校していた僕は
親に何回怒られたかわかりません。



今にして思えば、この頃が一番、
親に迷惑をかけてしまったと思います。



将来、何になりたい、なんていう夢も全くなく、
進学することも就職することも、まったく
決めていませんでした。



結局、高校を卒業してからはフリーターとして
ずっと生きていくことになります。



こういった職業に付きたい、というものが
全くなかった僕は、日々をダラダラと生きていくだけの
収入を得る為の職業を無作為に選んで
いましたが、どれも長くは続きませんでした。



自動車工場の作業員、スパゲッティ屋さんの接客、
クロネコ○マトの荷出し、深夜の佐○急便の荷分け、
ブロードバンドの案内員、引越し作業員、看板持ち、
ティッシュ配り、水商売、アパレル販売員、
棚卸のカウントスタッフ、物流倉庫の深夜作業、
デパ地下での商品補充、ネットワークビジネス(後で知りましたが詐欺的なとこでした)
ケーキ工場の流れ作業、ビルの配電盤のチェック、



などなど、
いろんなものをやりました。



結局、音楽好きがこうじて
音楽スタジオで5年間働くようになるまで
3ヶ月以上続いたのは



自動車工場の作業員と水商売とアパレル販売員
だけでした。



ネットビジネスに出会ったのは音楽スタジオ
で働いて2,3年ほど経った時のことです。



ネットビジネスというものを知りちょっと興味を持ち始めた時の
パソコン環境に置いては、友人からもらった5年落ちくらいの
重い、重―い、ノートパソコン。回線はADSL。



パソコンデスクなど無く、使うときだけ
ふとんの上に持ってきて、あぐらをかきながら
パソコンをカタカタやる、なんて状態でした。



非常に、効率悪いですね笑
その当時の僕のマインドを「取り組む姿勢」でみた時を
よーく表していると思います。



そして実際に、ネットでいろいろな情報を入手しようと、
ネットを使って稼ぐための情報を検索し始めるわけですが、
たどり着いたのは、



どこもかしこも、「楽して稼げそうな美味しいお話」
いわゆる、インフォ○タイルでよく見るような
「毎日、10分程度の作業で月に何十万というお金を稼げます!」
「他人のアクションに左右されません!作業がそのまま報酬になります!」



というような謳い文句の稼ぎ方。
当然、僕には宝の山に見えたわけです。



そして、いろいろある商材の中から、
その中でも楽して稼げそうなものを探ろうとする
どうしようもない人間でした。



結果、
インフォス○イルでは、安いものでも19800円、
高いものだと、50000円もの商材を買ってしまいました。



50000円の商材を買って、
1ヶ月後くらいに、それが詐欺商材だと知った時、
ほんと、発狂しそうな気分になりました。



そして、その最中に自分はどれだけどうしようもない人間なんだ
と強く思わされたのを今でも覚えています。



この時はまったくもって気づいていませんでしたが、
自分を、「どうしようもない人間」というようなイメージで
見てしまうのは、本当に危険なことなんですね。



他にも
「俺はいくら作業しても稼げない人間なんだ…」とか
「いつまで経ってもこういった生活を送るような人間なんだ…」
という事を強く考えてしまうのはとっても危険です。



ネットビジネス(?)と言えるのかすら謎ですが笑
僕がネットビジネスを知り、その世界に足を踏み入れた最初の頃は
ずっと、こういったことの繰り返しでした。



当然、知る前よりも、人生に希望が持てなくなりましたし、
余計に自分は何をやってもダメなやつなんだという
感情を強めてしまうだけでした。



詐欺商材には、お金を失うという現実の他に、
人の自信を奪い去るというお金を失う以上に恐ろしいパワーがある
ということを今では思わされます。



自信過剰なのは考えものですが、
ある程度の自信がないと、明るい未来をイメージしにくいですし、
当然、作業の質にも影響してきてしまいます。



やはり、最初はほとんどの方が、
自分一人で実践していくのが
ネットビジネス。



叱ってくれる上司もいませんし、
助けてくれる仲間もいません。



最初は、ほぼ一人で始めるのものだからこそ、
自信を失うことは、挫折する、やめたくなるという状態に
一直線で向かいやすいのです。



現に僕も詐欺商材によって
その後半年ほど、一切パソコンにすら触らなくなりました。



特に、
「他に稼ぐ方法を見つけよう」とか
「リアルビジネスで成功しよう」とか



そういった気持だったわけではなく、
単純に「自分は稼げない人間だから何をやっても無駄だ」
という気持ちしかなかったのですね。



まだ、ビジネスを始める前だというのに、
挫折してしまうという笑えない状態でした。



全くパソコンを触らない状態が数ヶ月続き、
少しずつ、詐欺商材から受けたダメージも回復し始めた頃
やはり、どうしても捨てられない思いが蘇って来ました。



「成功したい」という欲求ですね。



でも、ネットビジネスは詐欺的な話しか出回っていない



これが強烈に印象付けられたため、
やはり、ネットでどうこうしよう、という気持ちは
ほとんどなくなっていました。



そのため、またパソコンを少しずつ使い始めた頃、
意識的にネットでお金を稼ぐといったたぐいの情報は
避けるようにしていました。



でも…



詐欺商材に騙されまくっていた頃使っていた
メールアドレスに、どこから僕のメルアドを入手したのか?
というような謎な人からのメルマガが毎日、大量に送られてくる
ような状態でした。



当時は、(それが普通だと思っていて)
パソコン契約時のプロバイダメールを
1つだけしか使っていなかったので、
スパムメールに侵食されていたのです。



送られてくるメールの大体が、やはり、
ギャンブルや金儲けに関するものばかり。



しかも件名は「ありえないだろ」って思うような
くだらないメールばかり。



「どうしようもねぇな、世の中」なんて
冷めた目線で見つつも、それでも今のままじゃいけない。
どうにかして、稼げる人間にならなきゃいけない。



そういった気持が常に頭の片隅にあったのを覚えています。



そのころ、バイトの同僚がオークションを頻繁に使って、
新品を買うために今まで使っていた音楽機材や、スノボの板、
服などを売っているのにちょっと興味を持ちました。



バイト先に品物を持ってきて、写真を取ったり、発送したり。



「いっぱい入札された!これで新しいのが買える」
なんて言っていたので、



「へぇ、オークションって結構、使っている人いるんだなぁ」
なんて思っていました。



その時は、要らなくなったものを買ってもらうという程度の
認識しかなかったのですが、スパムメールで
あふれたメールボックスの中に「オークション」という言葉が紛れていたりすると
ちょっと「おっ」と思って、中身を見たりしていたのですね。



そして、「無料レポート」という存在を始めて知ることに
なったのです。



「無料レポート?なんじゃそりゃ?」

「メルアドを登録するだけで、オークションで稼ぐための
方法が無料で見られる?なんで?」



そういった疑問や、また詐欺商材のように騙されたり、
後から何か請求されるのでは?という不安を持ちつつも、

やはりとても気になってしまい、
無料レポートに関することを調べ始めました。



その後のお話は、旧ブログのプロフィールに
書いてあるとおりです



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